従業員が5〜30人規模の会社では、経理を1人で担っているケースが多い。その人が退職意向を示したとき、多くの経営者が「何から手をつければいいか分からない」という状態になる。
会社の資金繰り・税務申告・給与計算——これらを把握しているのが1人しかいない状態で、その1人がいなくなる。問題は退職後だけではない。退職が決まった瞬間から何をすべきか、という話だ。
この記事では、一人経理が退職する前に会社がやるべき対策を優先順位順に整理する。
一人経理が退職すると、何が止まるか
一人経理の退職で困るのは「人手が足りない」という問題だけではない。その人しか知らない業務・情報があるために、会社の経理機能そのものが停止する。
具体的に何が止まるかを整理する。
退職後すぐに止まる業務(1〜2週間以内)
- 請求書の発行・送付
- 取引先への支払い処理
- 入金の確認・消込
- 経費精算の受け付け
これらは毎週・毎月発生する業務だ。担当者がいなくなった翌週から積み上がっていく。請求書が出なければ入金が止まり、支払いが遅れれば取引先との信頼に影響する。
月次で問題が出る業務(退職後1ヶ月前後)
- 月次の試算表・資金繰り表の作成
- 給与計算・社会保険の申請
- 源泉徴収税の納付
給与計算は社員に直接影響が出る。社会保険の手続き漏れは後から罰則の対象になる場合もある。納税の遅延には延滞税が発生する。法的義務は担当者が辞めても止めることができない。
年次で積み残しになる業務(退職後数ヶ月〜1年)
- 年末調整
- 決算・確定申告の補助
- 税理士との連携窓口
年次業務は退職のタイミング次第で深刻になる。3月決算の会社で1〜2月に退職した場合、決算補助の担当者がいない状態で本決算を迎えることになる。
一人経理の会社で起きやすい3つのパターン
退職が発生したときに「手に負えない」と感じる会社には、共通したパターンがある。
パターン1:退職を告げてから去るまでが短い
「1ヶ月前に言えばいい」という感覚を持っている社員は多い。就業規則に「2週間前」と書いてある会社もある。
引き継ぎに必要な期間は業務の複雑さによるが、一人経理の場合は最低でも2〜3ヶ月が目安だ。「退職日が1ヶ月後」と告げられた段階では、すでに時間的余裕がない。
引き継ぎ期間が短い原因の多くは、退職を切り出しにくい環境にある。本人が限界まで我慢してギリギリに言ったために、告知から退職まで2〜3週間しかなかった——というケースは実際によく起きる。
パターン2:業務の全体像を誰も知らない
経理担当者に「どんな業務をやっているか」を聞いても、本人が意識している業務しか出てこない。
年に一度しかない業務(年末調整・固定資産の管理など)、イレギュラー対応(税務調査の対応窓口など)、外部関係者との細かいやりとり——こういったものは「自然にやっている」ために明文化されない。
退職が決まってから「これもお願いします」という追加依頼が増えていき、引き継ぎ期間が足りなくなる。
パターン3:ログイン情報・アカウントが共有されていない
会計ソフト(freeeやマネーフォワード)、銀行のオンラインバンキング、社会保険のe-Govアクセス——これらのログイン情報や二段階認証の管理が担当者個人のスマートフォンに紐付いていることがある。
退職後に「アカウントにアクセスできない」という状態は珍しくない。この場合、サービス側への問い合わせ・再設定に相当の時間がかかる。
退職前にやるべき5つの対策
退職の意向を聞いた段階で、会社がやるべき対策を優先順位順に並べる。
1. 業務の棚卸し(まず全容を把握する)
最初にやるべきことは、担当者がやっている業務の全体像を可視化することだ。
担当者本人に「毎日・毎週・毎月・毎年やっていることを全部書き出してほしい」と依頼する。ただし、担当者の記憶だけに頼ると漏れが出る。
以下のカテゴリ別に書き出す形にすると網羅性が高くなる:
- 日次業務(毎日やること)
- 週次業務(毎週やること)
- 月次業務(毎月やること:給与・請求・支払い・試算表など)
- 年次業務(年末調整・決算対応など)
- イレギュラー業務(不定期だが対応が必要なもの)
- 外部窓口(税理士・社労士・銀行との連絡担当)
この棚卸しは退職前にやる最も重要な作業だ。何があるか分からない状態で引き継ぎは進められない。
経理の引き継ぎで何を準備すべきかについては、経理の引き継ぎチェックリスト|退職・異動時に漏れなく進める方法に詳しくまとめている。
2. ログイン情報・アカウント権限の一覧化
業務棚卸しと並行して、アカウント情報の整理を進める。
確認すべき最低限のもの:
- 会計ソフトのID・パスワード(freee / マネーフォワード等)
- オンラインバンキングの管理者情報
- e-Gov(社会保険・雇用保険の電子申請)のログイン情報
- 税務署の申告システム(e-Tax)のアカウント
- 経費精算ツールや勤怠管理ツールの管理者アカウント
担当者個人のスマートフォンに二段階認証が設定されている場合は、退職前に会社管理の番号または認証デバイスへ変更する。退職後にこの作業をしようとしても、本人との連絡が取れなくなるケースがある。
3. 税理士・銀行・社会保険担当への連絡と窓口変更
経理担当者が外部パートナーとの窓口になっている場合、退職前に窓口を変更しておく。
具体的には:
- 顧問税理士:「担当が変わります」と早めに伝え、引き継ぎ先(後任担当・代行業者・担当者本人)を明確にする
- 取引銀行:担当者の変更届を出す(融資がある場合は特に重要)
- 社労士(いる場合):月次業務の窓口変更を依頼する
税理士や社労士は年次スケジュールを持っている。退職が決算・申告の直前であれば、早めに税理士へ状況を共有して対応を相談する。
4. 引き継ぎスケジュールの設定
退職日と今日の差分から、引き継ぎに使える期間を逆算する。
引き継ぎ期間が2ヶ月以上ある場合:月次業務を1〜2サイクル一緒に進めながら手順を伝えることができる。
引き継ぎ期間が1ヶ月を切っている場合:日次・週次業務の引き継ぎを最優先に、月次は担当者が残っている間に一度だけやってもらう形で記録する。年次業務は手順書を残すだけでも大きく違う。
「全部引き継ぐ」が難しい場合は「最悪これだけは止めない」という業務を絞って、そこに引き継ぎを集中させる。
5. 後任体制の選択肢を並行して動かす
引き継ぎを進める一方で、退職後に誰が経理を担うかを並行して検討する。
選択肢は大きく3つある:
新規採用
採用〜入社〜戦力化まで最低3〜6ヶ月かかる。退職後すぐの戦力にはならない。退職が急な場合は間に合わないため、採用準備を早期に始めるか他の手段を並行させる。
経理代行サービスへの外注
すぐに稼働できる点が採用との大きな違いだ。月次の記帳・支払処理・請求書対応などを依頼できる。外注の費用感については経理代行の費用を実例で公開|従業員規模別の月額料金まとめに目安をまとめている。
税理士への委託範囲の拡大
顧問税理士がいる場合、記帳・経費精算代行まで依頼できる税理士もある。対応範囲は税理士によって異なるため、早めに相談する。
一人経理体制そのものが持つ構造的リスク
退職を機に体制を見直す会社は多いが、後任を1人採用しただけでは同じ問題が繰り返される。
一人経理体制のリスクは退職だけではない:
- 病気・長期休暇による突然の業務停止
- 担当者への業務依存による不正リスク(牽制機能が働かない)
- 経営者が経理の実態を把握できない状態の継続
根本的な解決には、業務の可視化と仕組み化が必要だ。ツールを使って業務を担当者任せにしない構造を作り、経理の状態が経営者に見える状態を維持することが出発点になる。
属人化している経理業務をどう解消するかについては、経理の属人化を30日で解消する方法|チェックリスト付きで手順を解説している。
まとめ
一人経理の退職が決まったとき、まずやることは3つだ。
- 業務の棚卸し(担当者に全業務をカテゴリ別に書き出してもらう)
- アカウント情報の整理・共有(ログイン・認証情報を会社管理に移す)
- 外部パートナーへの連絡(税理士・銀行への窓口変更)
この3つを退職前に完了させることが最低限の対策になる。
退職を告げられた翌日から動き始めるくらいの速さで進めないと、引き継ぎ期間が足りなくなる。退職後の混乱を最小限にするためには、退職前の動き方が全てを決める。