著者:野原琉海(業務効率化に特化したエンジニア)
「個人情報があるから、うちはAIを使えない」
医療・介護業界の方とAI活用の話をすると、必ずといっていいほどこの言葉が出る。気持ちは分かる。患者さんや利用者さんの情報を扱う現場で、外部のAIサービスに情報を渡すことへの慎重さは当然だ。
ただ、業務効率化に特化したエンジニアとして医療・介護の現場に関わってきた経験から言うと、この「使えない」という認識は半分正解、半分は思い込みだ。正確に言えば「個人情報を含む特定の業務にはAIを使いにくいが、それ以外の業務はむしろAIとの相性が良い」というのが実態だ。
医療・介護のバックオフィスには、書類作成・採用コンテンツ・研修資料・行事案内など、個人情報を一切含まずに毎週繰り返されている業務がある。この業務群は、月3,000円のChatGPTで今日から試せる領域だ。
この記事では、医療・介護の中小事業者がAIで業務改善を進める際に、どの業務から手をつければいいかを業種別の具体的な事例と費用感で整理する。個人情報の扱いに関するルールと、業界特有の注意点も合わせて解説する。
医療・介護のバックオフィスで起きている3つの課題
この業界のバックオフィスには、他業種と比べて際立って多い繰り返し業務がある。業界に共通した3つの課題から整理する。
記録・書類業務が毎日大量に発生する
介護業界では、介護記録・業務日報・利用者の家族への月次報告書・サービス計画書の作成が法的に定められている。これらは毎日・毎月のルーティンだが、多くの事業所では手書きまたは専用システムへの手入力で対応している。
僕がこれまで関わってきた介護事業所では、記録業務だけで1日1〜2時間かかっているスタッフがいた。月換算で20〜40時間だ。この時間のすべてが本来必要な作業かというと、そうではないケースも多い。同じ内容の記録が形式を変えて繰り返されている、定型文をゼロから書いているという状況が見えてきた。
クリニックでも状況は似ている。診察後の電子カルテへの入力、保険請求のためのレセプト確認、患者への連絡対応が重なり、医療事務スタッフの業務が月末・繁忙期に集中する。受付業務と事務業務を兼務しているスタッフが多い診療所では、書類が後回しになって残業が常態化しているというケースを実際に聞いたことがある。
採用・教育にかかるコストと手間が大きい
介護業界は慢性的な人手不足だ。求人活動が日常業務と並行して発生するため、求人票の作成・更新・媒体別の書き直しが採用担当者の業務を常に圧迫している。求人媒体を3〜5社に展開している事業所では、同じ内容を媒体ごとに文字数・書式に合わせて書き直す手間が毎回発生している。
新人スタッフへの研修資料・マニュアルの整備も、担当者への依存が強い。担当者が変わると「前のマニュアルがどこにあるか分からない」「内容が古くなったまま更新されていない」という状態になっている事業所を見てきた。研修を担当するベテランスタッフが現場業務と並行して資料を一から作る、という状況は珍しくない。
家族・関係者への連絡文が担当者に依存している
利用者の家族への定期連絡(月次報告・行事案内・季節のお知らせ)を、担当スタッフが毎回ゼロから書いているケースが多い。文章の得意・不得意が担当者間でばらつき、書くことが苦手なスタッフが毎回30〜60分かけているという現場を見てきた。同じ品質で、誰が担当しても同じ時間で対応できる仕組みを作れていない事業所がほとんどだ。
AI活用できる業務・できない業務の仕分け
医療・介護でのAI活用を阻んでいる最大の原因は「全部NGだ」という思い込みだ。業務を「個人情報が含まれるかどうか」で仕分けすると、今日からAIで対応できる業務が多いことが見えてくる。
| 業務 | 個人情報 | AIで対応可能か | おすすめのツール |
|---|---|---|---|
| 求人票・採用SNSの文章作成 | なし | 今日から可能 | ChatGPT |
| 行事案内・お知らせ文の作成 | なし | 今日から可能 | ChatGPT |
| 新人研修資料・手順書の作成 | なし | 今日から可能 | ChatGPT |
| スタッフへの連絡メール下書き | なし | 今日から可能 | ChatGPT |
| 会議・ミーティングの議事録 | 多くの場合なし | 今日から可能 | 文字起こしAI |
| 介護記録(利用者氏名・状態含む) | あり | 介護ソフトのAI機能で対応 | カイポケ等 |
| 電子カルテ入力補助(診察内容) | あり | 医療特化型ツールで対応 | 専用システム |
| 患者・利用者名を含む連絡文書 | あり | 個人情報を除く設計が必要 | ケースによる |
この表を見ると分かるが、「個人情報のない繰り返し業務」は相当な量がある。求人票・連絡文・研修資料・議事録——これらはChatGPT(月約3,000円)で今日から始められる。個人情報を含む業務は別途対応が必要だが、そこから始める必要はない。
僕が医療・介護の現場に関わるとき、最初に「個人情報なしでAIに渡せる繰り返し業務を書き出してください」と聞く。そうすると必ず5件以上は出てくる。求人票・連絡文・研修資料・行事案内・議事録——これだけで、毎月数十時間の繰り返し業務がある。「うちにはAIで効率化できる業務がない」という前提は、まず一度疑ってほしい。
内部リンク: ChatGPTを実務で使う方法|中小企業向け具体的な活用例では、業務別の具体的なプロンプト例も整理しているので参考にしてほしい。
業種別のAI業務改善事例
業種ごとに、AIが特に効果を発揮しやすい業務と具体的な進め方を整理する。
クリニック・診療所での活用事例
クリニックでAI活用の効果が出やすいのは「事務スタッフが毎回同じ種類の文書を作っている業務」だ。特に以下の3つは、今日から試せる。
患者への連絡文書の作成
再診案内・検査後の説明文(テンプレート)・院内掲示板の文章更新——これらをChatGPTで下書きを作り、院長や医療事務スタッフが確認・修正する流れにすると、一から書く手間がなくなる。経験上、1件あたり20〜30分かかっていた文書作成が5〜10分程度に短縮できるケースが多い。作業量にもよるが、月に20件程度の文書作成があれば、月10〜20時間の削減につながる計算だ。
採用求人票の複数媒体対応
医療事務スタッフ・看護師・受付スタッフの採用では、求人媒体ごとに文字数・書式が異なる。ChatGPTに「この求人内容を媒体Aの200字以内に収めて」「ハローワーク用の書式に変えて」と指示すれば、媒体ごとの書き直し作業を大幅に短縮できる。採用担当者が1人しかいない規模のクリニックでは、この作業だけで月2〜3時間は節約できる。
音声録音からの文字起こし(注意事項あり)
診察後の口頭確認内容を録音してテキスト化するツールを活用しているクリニックもある。この場合、患者情報が含まれる可能性があるため、ツールの利用規約とプライバシーポリシーを必ず事前に確認すること。外部送信なしのオンプレミス型、または医療機関向けのセキュリティ基準(ISO 27001取得等)に対応したサービスを選ぶことが前提になる。汎用のChatGPTへの音声データ直接入力は避けるべきだ。
訪問介護・デイサービスでの活用事例
介護記録業務(介護ソフトのAI機能で対応)
介護記録は利用者の個人情報を含むため、汎用のChatGPTに直接入力することは避けるべきだ。ただし、主要な介護ソフト(カイポケ・ほのぼのNEXT等)はAIを使った記録補助機能の開発・提供を進めている。これらはソフトベンダーが個人情報の取り扱いを含めた設計をしているため、利用規約の確認がしやすい。まず導入済みの介護ソフトにAI機能があるかを確認するところから始めてほしい。
個人情報なし業務(ChatGPTで対応)
家族への月次お知らせ文(固有名詞を入れない汎用版)・スタッフへの連絡事項の下書き・新人研修の手順書——これらはChatGPTで今日から対応できる。実際に見てきた訪問介護事業所では、家族への定期連絡文の作成時間が1件30〜40分から10分以下になったケースがある。文書の品質も、担当者の文章力に依存しなくなるという副次的なメリットがある。
介護施設(グループホーム・特別養護老人ホーム等)での活用事例
行事案内・お知らせ文の標準化
季節の行事案内(敬老会・クリスマス・節分等)を毎回担当スタッフがゼロから書いている施設は多い。担当者が変わるたびに品質がばらつき、書くことが苦手なスタッフが時間をかけすぎる原因になっている。ChatGPTにフォーマットとなる文章を作らせ、毎年そこを微修正する運用にすれば、誰が担当しても品質が安定する。行事案内1件あたりの作成時間が30分から5分以下になることも珍しくない。
採用コンテンツの効率化
求人媒体・施設のSNS・ハローワーク——それぞれに求人情報を展開している施設では、媒体ごとの書き直し作業に毎回かなりの時間がかかっている。ChatGPTで複数の媒体フォーマットを一括生成すれば、採用担当者の負担を大きく下げられる。採用担当を兼務しているスタッフが多い介護施設では、この効率化が現場の負荷軽減に直結する。
費用感と費用対効果の比較
「AIツールの導入にいくらかかるか」という質問を受けることが多い。業務別のコスト感と対応できる業務を整理する。
| ツール・方法 | 月額費用の目安 | 対応できる主な業務 | 向いている規模感 |
|---|---|---|---|
| ChatGPT Plus(OpenAI) | 約3,000円/人 | 文書作成・採用コンテンツ・研修資料 | 全規模 |
| Claude Pro(Anthropic) | 約3,000円/人 | 長文・複雑な文書生成 | 全規模 |
| 介護ソフトのAI機能(追加オプション) | 1,000〜3,000円/月+基本料 | 介護記録補助 | 訪問介護・施設 |
| AI文字起こしツール | 2,000〜8,000円/月 | 会議録・ミーティング記録 | 全規模 |
| AI顧問サービス | 月10万円〜 | AI活用設計・定着支援・業務改善全般 | 従業員10〜50人規模 |
月3,000円のChatGPTだけでも、求人票・連絡文・研修資料・行事案内の作成時間は確実に短縮できる。まず1人の担当者が試して「どれくらい時間が短縮できるか」を実感してから投資を判断するのが正しい順序だ。
自社では月3.5万円のAIツール代(ChatGPT・Claude・その他)で、コンテンツ制作・採用コンテンツ・顧客対応・業務管理を回している。それをベースに考えると、医療・介護事業所でも月5,000円以下で始められる業務改善は確実にある。
IT導入補助金について補足する。「IT導入補助金」(中小企業庁が実施)は、介護ソフトや業務管理ツールの導入費用の一部を補助する制度だ。補助率・上限額は公募期間によって変わるため、最新情報は中小企業庁の公式ページで必ず確認すること。過去の事例では、対象ツールの導入費用に対して補助を受けた事業所もある。
AI顧問サービスを活用して業務設計から始めるケースについては、AI顧問とは?中小企業が知るべきサービスの全体像と費用相場にまとめているので参考にしてほしい。
AI業務改善を進める3ステップ
医療・介護で実際にAI活用が定着した事業所に共通しているのは、始め方が「小さい」という点だ。全社一斉に展開しようとした場合ほど、うまくいかないケースを多く見てきた。順番を守ることが定着の鍵になる。
ステップ1:「個人情報が出てこない繰り返し業務」を特定する
最初のAI活用は、個人情報と無関係な文書業務に絞る。候補は以下のような業務だ。
- 求人票・採用SNS投稿の文章
- 行事案内・月次お知らせの下書き
- 新人スタッフ向けの研修資料・手順書
- スタッフへの連絡メールの下書き
- 会議の議事録・打ち合わせメモ
これらは今日からChatGPTで試せる業務だ。「今週1番時間がかかった書類作業は何か」と問いかけてみると、候補が見つかる。試す前に「今この作業に何分かかっているか」を記録しておくと、AI活用の効果を後で数字で示せるようになる。
ステップ2:担当者1人が試して効果を測定する
医療・介護の現場スタッフはITツールへの習熟度にばらつきがある。全員に一斉に使わせようとすると「使えない人が足を引っ張る」という状況になりやすい。事務担当か採用担当の1人が試して「この作業が○分から○分になった」という体験を作ってから展開する。
経験上、最初の成功体験があると現場への展開が格段に早くなる。「使えない」という思い込みがある現場スタッフに対しても、「実際にこの作業が半分になった」という数字は説得力を持つ。
ステップ3:個人情報を含む業務は業界特化型ツールで検討する
介護記録・カルテ入力補助など、個人情報を含む業務のAI化は、汎用ChatGPTではなく医療・介護専用のシステムで対応する。この段階は、ステップ1・2で「AIに慣れた状態」になってから検討すればいい。順序を守ることで、失敗リスクを大幅に下げられる。
AI導入を3ヶ月かけてどう定着させるかの考え方は中小企業のAI導入|最初の3ヶ月で何をすべきかでも整理しているので参考にしてほしい。
やりがちな失敗パターンと対策
実際に医療・介護でのAI導入を支援してきた経験から、起きやすい失敗を対策とセットで整理した。
| 失敗パターン | 起きる理由 | 対策 |
|---|---|---|
| 最初から介護記録・カルテ入力の自動化を目指す | 期待値が高い・課題が大きい業務から解決しようとする | 個人情報なし業務から始める |
| 「医療・介護専用AIが必要」と思い込んで動けない | 先入観・過剰な慎重さ | 求人票・連絡文は汎用ChatGPTで十分試せる |
| スタッフへの説明なしで導入する | 省力化を優先して手続きを省く | 「負担を減らすためのツール」と事前に説明する |
| セキュリティ確認なしで個人情報をAIに入力する | 手続きを省略する | 利用規約・プライバシーポリシーを事前確認する |
| 全員に一斉展開しようとする | 一気に変えようとする | 担当者1人が試して成功体験を作ってから広げる |
| ツールを入れただけで業務が変わると思う | ツール導入と業務改善を混同する | 「どの業務にどう使うか」を先に設計する |
この中で特に多いのが「最初から難しい業務を目指してしまうパターン」だ。介護記録・カルテ入力補助のAI化は、セキュリティ設計・規約確認・専用ツールの選定が必要で、準備に時間がかかる。まず「AIが使える体験」を作ることを優先した方が、長期的な定着率が上がる。
逆に「汎用AIで全部できると思い込んでいた」というケースもある。「ChatGPTに利用者の名前や状態を入力してしまった」という話を実際に聞いたことがある。「どこまでAIに渡していいか」のルールを先に決めておくことが、医療・介護でのAI活用の前提条件だ。
スタッフへの説明なし導入で「監視されているのでは」「仕事がなくなるのでは」という不安が広がったケースも見てきた。「どの業務を補助するためのツールか」「スタッフの記録作業の負担を減らすためのものだ」という説明を事前に行うことが、定着の条件になる。
AI導入を外部に相談するか自社でやるかの判断についてはAI活用を内製するvsAI顧問に外注する|中小企業向け判断基準を参考にしてほしい。
まとめ:医療・介護でもAI業務改善は確実に進められる
「個人情報があるから使えない」という思い込みを一度外して、業務を仕分けしてみてほしい。求人票・連絡文・研修資料・行事案内——これらは今日からChatGPT(月約3,000円)で始められる業務だ。
個人情報を含む介護記録・カルテ入力補助は、介護・医療専用のシステムで対応する。この2段階の仕分けさえできれば、医療・介護の現場でもAI業務改善は確実に進められる。
始め方はシンプルだ。今週の書類作業の中で「1番時間がかかった作業」を1つ選び、ChatGPTで試してみる。個人情報が含まれないことを確認した上で。成功体験ができれば、次のステップは自然に見えてくる。